ためになることわざの中に、「50歩100歩」というものがあります。
そのことわざは、どういった意味なのでしょうか。
ここでは、「50歩100歩」の意味や由来、それと似たことわざなどについてご紹介します。
友人との会話でうんちくとして披露したり、何かの例え話をする時に使ってみてはいかがでしょうか。
いつも以上に尊敬されるかも知れません。
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50歩100歩の意味と由来について知ろう
数多くあることわざの中のひとつに「50歩100歩」というものを聞いたことがあるでしょうか。
耳にしたことはあっても、きちんとした意味を知らないという方は以外に多いものです。
ここでは、「50歩100歩」の意味と由来についてご紹介します。
「50歩100歩」の意味
どちらかというと、褒め言葉ではありません。
使い方としては、「どちらも似たようなあまり良くない成績」といった時に、「50歩100歩」と表現します。
「50歩100歩」の由来
「50歩100歩」の由来は、中国戦国時代の儒学者の孟子の言葉から来ています。
これは数が問題ではなく、どちらも逃げているので変わりはないということを王様に知って欲しかったことから出された話です。
50歩100歩と意味が似ていることわざには何があるのか
ことわざには「50歩100歩」以外にも、似た者同士のような意味を持つものがいくつかあります。
そのいくつかをご紹介します。
どんぐりの背比べ
似たような者同士が自分たちの優劣を競ってもしょうがないという意味で使われるのが、「どんぐりの背比べ」という言葉です。
目くそ鼻くそを笑う
どちらも体から出る汚れなのに、「目から出る自分の方がマシだ」と鼻くそのことを笑うのが、「目くそ鼻くそを笑う」です。
このことわざを言う時に必ず「鼻くその方が絶対汚い」と主張する人がいますが、あくまでそれはことわざですので、言う方が野暮というものです。
猿の尻笑い
「猿の尻笑い」ということわざは、自分の尻の赤さを棚に上げて、他の猿の尻の赤さを笑うことから来ています。
他人の容姿を笑っていながら、自分の体型やファッションセンスに問題がある人は、まさに「猿の尻笑い」だと言えます。
だからこそ自分が今、どのような状態なのかを客観的に見ることが大切です。
50歩100歩と似ているようで少し意味の違う言葉
「50歩100歩」は、どちらも良いことではないという意味があります。しかし、物事には「どちらも秀でている」というシチュエーションもあります。
そういった時は、「50歩100歩」ではなく、なんと表現すると良いのでしょうか。
そのような場合の慣用句やことわざについてご紹介します。
粒ぞろい
物のひとつひとつが際立って優れていることを表す慣用句に「粒ぞろい」という言葉があります。
みんなの能力の高さを褒める時に使いましょう。
類は友を呼ぶ
似たような種類の人間が集まりやすい状況を表すことわざに「類は友を呼ぶ」というものがあります。
明るい人のところには明るい友達が集まり、賢い人のところには賢い人が集まるといったものです。
ですので、能力がイマイチな人のところにイマイチな人が集まっても「類は友を呼ぶ」と言いますので、必ずしも褒め言葉にはなりません。
50歩100歩のように、比較する時に使うことわざをご紹介
ことわざには、物事や人を比較する言葉もあります。
「50歩100歩」とは違う、物の優劣を比べる言葉についても学びましょう。
月とスッポン
「月とスッポン」ということわざを耳にしたことがあり、意味がわかっていても、そもそも空の月と亀のようなスッポンをなぜ比べるのかを知らない人は少なくありません。
この2つが比べられる理由は、月の丸さとスッポンの甲羅の丸さが同じようだということから来ているのです。
雲泥の差
空の雲と地面の泥は、似ているどころかある場所も性質も全く異なるものです。
この言葉は差が歴然としていて比べるまでもないといった場合に「雲泥の差」が使われます。
百聞は一見にしかず
知らないものを知る時に、100個の説明を聞くよりも、一度見る事が最も理解出来るという意味を持つことわざに「百聞は一見にしかず」があります。
言葉より写真、写真より映像、映像より体験となるのが、「百聞は一見にしかず」です。
50歩100歩以外の、数字を使ったことわざ
物事を説明するのに便利なことわざには、「50歩100歩」のように、数字を使ったものが数多くあります。
ことわざをたくさん覚えておけば、人に自慢できたり、クイズに強くなれます。
一を聞いて十を知る
このことわざは、ひとつの事を聞いただけですべての事を理解できる賢さを表すものです。
これとは逆で「十を聞いて一を知る」という言葉もあるように思われていますが、これは対比として使われているだけで、実際にはないことわざです。
二兎追う者は一兎も得ず
欲張ると結局何も得られないという意味で使われる「二兎追う者は一兎も得ず」は、現在でも忘れてはいけない教訓として使われ続けています。
ウサギに限らず、物事はひとつの事に見定めて進んで行くのが一番です。
三度目の正直
何かをする時は、一回や二回の失敗を恐れずに三回目の成功に期待しようという意味のある「三度目の正直」は仕事や勝負に挑む人に贈りたい言葉です。
三回目も失敗してしまった時は、「七転び八起き」と言ってあげましょう。